東京銅像めぐり

PAK77_shibuyahachikou20140921132319500-thumb-1371x800-5461
東京の中でとても目立つ存在の銅像といえば、上野の西郷隆盛銅像、
皇居の広い敷地の中にある楠木正成銅像 靖国の大村益次郎銅像の3つになります。
どれも明治維新後の建造です。

大村益次郎は、幕末の長州藩士で、明治維新政府にあっては、陸軍創始者といわれる人物です。
靖国神社の銅像は、明治26年(1893年)の鋳造で、陸軍の施設である東京砲兵工廠で作られました。
なので明治の庶民の血税により軍部により作られたものです。

最もなじみがあり、多くの報道などで再三再四取り上げられる上野公園の西郷隆盛銅像は、
明治10年(1877年)に建立された銅像で、明治天皇の指示の元、宮内庁が主導し、
全国2万5千人余の有志の寄付金で建立されたものです。

N785_uenokouenkomatumiya500-thumb-755x500-2057

楠木正成

140年近くの間、代表的な東京名所として有名な場所です。
皇居前広場の楠木正成銅像。

楠木正成は、鎌倉時代末期、後醍醐天皇に従い、鎌倉幕府を滅ぼすべく、活躍した人物で、
大阪河内の千早赤阪の篭城では、500倍の兵力を僅かな人数で釘付けにしたことでも知られています。
また、天皇に忠義を尽くすべく足利尊氏・足利直義兄弟に、討たれ、悲運の死を遂げたとした、
大阪生まれ大阪育ちの歴史上人物では唯一の英雄です。
(大阪人は、やたらに名古屋人の秀吉がお好みなようですが。)

この皇居前、皇居外苑の祝田橋から二重橋にかけての辺りに建立されている楠木正成銅像は、
血税ではなく、住友財閥からの明治天皇への献上像といわれています。
住友家13代施主の住友吉左衛門による献納で、明治30年に寄贈されました。
愛媛県別子銅山の開坑200年を記念し、明治天皇が最も親愛する人物の銅像を寄贈したわけです。
鋳造には、自らの別子銅山の銅を用いたということです。

昨今、無能な政治家ばかりを送り込む戦後の同じ大阪の家電メーカにも見習って欲しい行為です。
しかしこれらの像は全て東京、江戸とは縁も所縁もない人物。

太田道灌

江戸や東京に所縁の人物の銅像といえば、太田道灌は外せません。
鎌倉生まれながら、江戸という街を作った人物で、江戸城開城の父です。
太田道灌銅像は、かつて都庁のあった有楽町東京フォーラムとJR日暮里駅東口前、
新宿中央公園にあります。

実は太田道灌像は埼玉県を中心に全国で9対あるそうな。
中でも象徴的なのがJR日暮里駅東口前の道灌像で、回天一枝の像と呼ばれています。
日暮里は江戸城の防衛線として物見台が置かれたところで、JR日暮里駅の西側には
道灌坂という地名も残っています。

旧都庁、新宿中央公園の像は、東京都、日暮里駅の像は荒川区による建立で、
どれも血税によるもので、特に東京都による像はその場所に縁も所縁もありません。

勝海舟

もうひとり外せないのが、幕末から維新の立役者で江戸無血開城を成し遂げた人物、
勝海舟です。勝海舟像は生まれた地である墨田区に2つ。

ひとつは、つい最近、吾妻橋の墨田区役所により血税で建立された像で、
その建立場所は、旧アサヒビール本社敷地内、江戸時代には佐竹藩邸だったところで、
ここは勝海舟にまったく縁も所縁もない場所です。

いかにも近代的役人好みな地味ながらのバブリー像です。
もうひとつは、由緒ある銅像で、墨田区本所の能勢妙見堂にあります。
能勢妙見堂は勝海舟の父勝小吉の回想録「夢酔独言」にも度々登場する寺院で、
事ある毎に参拝していた寺院です。実際の勝邸も、ここから南に一直線に
徒歩6分ほどのところにありましたから、これこそが由緒ある銅像です。

銅像自体は地元住民の寄付により寄贈されたもので、
血税ではないのでこじんまりした胸像ですが、政治的意図を感じない像です。
ちなみに能勢妙見堂は、墨田区立錦糸中学校隣にあります。